お知らせ

ふりだし塾とは?
南アルプスのふもと、長野県下伊那郡大鹿村鹿塩の一番山奥、高度1300メートルのところに大鹿ふりだし塾はあります。メンバーは代表者のげた[大倉寛]、ひろみ。居候が多い時で7ー8人ぐらい、普通は2ー3人、ヤギ、うさぎ、犬、猫、それににわとりが居ます。
回りに家はありません。隣は2キロ先、10分ぐらい歩くと中央アルプスと南アルプスの見える丘があります。私たちは1983年に、大鹿村に入村しました。最初は農家を借り住んでました。1994年に3600坪の山林を買い、まず8角形のログハウスを造り、畑を作り、2003年に大型のログハウスが完成し、現在はそこに住んでいます。
ここよりさらに上がった高度1500-1600メートルのところで、約一町歩の畑で無農薬で農業をやってます。高度900メートルに田一反、畑一反があります、その他に田三反借りています。
現在と未来構想
現在建物は母屋、八角堂、居候の個室、10帖のプレハブ、Aフレームハウス、ヤギ小屋(2階に2部屋)があります。
電気は2012年に外部から電力会社の電気が通じました。母屋に780ワットの太陽発電があり、八角堂に100ワットのシステム、その他の所に50ワットの システムがあります。2012年に4.2Kワットのソーラーシステムを導入しました。余った電気を現在は売電しています。人数が多くなりすぎて、自家発電のみでは無理です。
水は敷地内に泉が湧いていて、そこから引いており、風呂は薪でたいてます。家にも薪ストーブがあります。できるだけの自給自足でやってますが、それほどかたく考えてやってるわけではありません。2013年に山林を3000坪買い足しました。唐松林です。そこに大型の八角形ログハウスを建設中です。八角堂の前は牧場にして馬を飼うつもりです。
ツリーハウスも作りたいし、ストローベールハウスも作りたいです。炭焼きもしたいし、焼き物にも挑戦してみたいです。とやりたい事は一杯あります。
ソーラー発電
・ソーラー発電1号機は50W, 12Vシステム、コントローラなし。バッテリーは1.5V×10個が2つ某役所の中古→屋外便所、居候部屋
・ソーラー発電2号機は100W, 12Vシステム、コントローラ付き、バッテリーは自動車用100AH→ヤギ小屋2階(ハイジの部屋)
・ソーラー発電3号機は780W, 24Vシステム、100V正弦波インバーター1500W未来社、コントーローラー充電器×2、ディーゼル発電機、バッテリー 65AH×6 + 100AH×4 計990AH→母屋2013年現在では、バッテリー能力が5分の1くらいになり、晴れた昼間と夜数時間のみ使用しています。
・ソーラー発電4号機は4KW, 連系(昼間のあまった電気は電力会社に売り、夜は電力会社からの電力を使う事で、独立系のネックであるバッテリーが必要ありません。)→母屋

お手伝い募集について
長期でお手伝いできる方を募集しています。滞在期間一週間からの短期のお手伝いの方も募集していますが、見学と一週間以内の短期滞在は今のところ受け入れ出来ません。
ふりだし塾の発端
2000年くらいから、ポツポツと居候が来始め、2003年に大鹿ふりだし塾として正式にスタートしました。
大鹿振り出し塾では、自給自足の生活を学べます。ログハウスの建て方をはじめ、無農薬農業、ヤギ乳しぼり、まき割り、パン作り、自分でできる健康法などともかく自給自足の事はだいたい何でも学べます。

ふりだし塾の発端
2000年くらいから、ポツポツと居候が来始め、2003年に大鹿ふりだし塾として正式にスタートしました。
大鹿振り出し塾では、自給自足の生活を学べます。ログハウスの建て方をはじめ、無農薬農業、ヤギ乳しぼり、まき割り、パン作り、自分でできる健康法などともかく自給自足の事はだいたい何でも学べます。
げたの独り言
ブログのようなものです-
無理ができません。
やはり骨折と肺の破裂は大変なことみたいです。
何とか仕事を再開しようとするのですが、やはり無理みたいです。
20日後で一度また病院で再検査をしたのですが、骨折では全治に2か月かかると念を押されてしまいました。
何とか仕事を再開したいのですが、軽作業があまりないのです。
ほぼ全部の仕事が重労働なんです。
あきらめました。
と言っても当たり前なんですが、けがが治るまで無理をしないことにしました。
ゲストシェアハウスのオープンは遅れるかもしれませんが、仕方ありません。 -
ゲストシェアハウスの本体、宿舎、物置小屋の工事は終わりました。
工事は順調に進んでいます。
お風呂もできたし、二階の個室もできたし。
今はわら細工とかいろんな作業ができる小屋を作ってます。
わら細工をもっと習って、教えることも考えてます。 -
水道が凍ってしまいました。
昨年からの降水量の減少、つまり雨が降らない、で泉の水が枯れてきました。
冬場は水道は流しっぱなしで凍結を防ぎます。
ところが水量が少なくなると、いくら流しっぱなしでも水道は凍るのです。
つまり手の打ちようはありません。
雨が降るまで待つしかありません。 -
負傷で入院して、退院しました。
木を切っていて、切った木に絡みついていた蔓が隣の木にまで絡みついていて、その木を引き込んで倒れ、当然ですが、前の木の横にいる私に、後ろから折れた木が、猛烈なスピードで飛んできます。
後ろから飛んできた木が背中と頭に当たり、急な斜面を落っこちました。
このケースは山では一番多く起こる事故で、死亡するケースも多い事故です。
当たった時はこれはやばいねと思いました。
同時に山の事故で死んだ友人が、死ぬ前に「これやばいね」と言っていたことを思い出しました。
それぐらい強く木は当たったし、崖を転げ落ちたし、無事で済むはずはないのはわかりました。
結果はあばら骨が骨折、肺の片方が破裂、これは結構重傷だと思います。
それに非常に痛いのです。
今回は近代医療の鎮痛剤とゆうものが、痛みのある人にとって、どれだけありがたいものかを痛感しました。
さて重傷にもかかわらず、なぜ5日で退院になったか。
これは多分病院からの追放だと思います。
私がなぜ追放されなければならないのか、
別に大したことをしてるわけではありません。
マスクをしないのと、
心電図の末端を体につけてるのですが、これがめんどくさい。
重傷患者なので、いつ事態が急変するかもわからないので、常に心電図の末端を体の何か所かと、指先に取り付けてるのですが、
この指先のやつがかったるいのです。
もともと何でも腕とか指につけるのは嫌いなのです。
看護師さんにもよるのですが、きちんとした、秩序維持型の看護師さんは、こちらが末端を外すとすぐに飛んできます。
当然ですが自分で取ったとは言いません。
また取れたんですねと、しらばくれます。
そして看護師さんが来るたびに、またマスクの注意も受けます。
これも表立っては、すぐに忘れるとか、すぐに外れるとかにしてるわけです。
何しろ正攻法で問題を指摘して、トラブルを引き起こすのは面倒なので嫌いなのです。
まだ日本ではこんなバカげた「マスク騒動をしなければならないのです。
というわけで。
重傷なのに5日で退院してきました。
この5日で退院の理由は、私の勘違いかもしれませんし、
それにしてもやはり早すぎるような気もします。
どのみち、鎮痛剤を飲んで、痛みを我慢しつつ、安静にしてるしか方法はないので、病院にいる理由はないのもわかります。 -
あたらしいふりだし塾では「不思議研究所」を作ります。
超常現象が大好きです。
不思議研究所と言っても、取り立てて研究する気はありません。
1か月に1回くらい、みんなで集まって、不思議なことを楽しく話す場所を作りたいのです。
会では何でもありです。
何でも「あり得るでしょう」を前提に話をします。
気楽にが大事なのです。
入れ込まない。
楽しく、
こんな感じで不思議なことならなんでも話題にするそんな場所を作りたいのです。